世界遺産・平泉を訪ねて。昔の人たちの思い出にしみじみ。
こんばんは。
岩手県遠野市で、無肥料・無農薬米(自然栽培米)を育てています、勘六縁(かんろくえん)の裕美(嫁)です。
遠野は、最高気温5℃以上の日が続いて、玄関前のスケートリンクが完全になくなりました。田んぼも畑も土が見えて、雪解け水がごうごうと流れています。例年になく、早い春を感じています。
さてさて、先月はるばる遠野に来てくださった、兵庫の米主さん(いつもお米を食べてくださっているお客さまをこうお呼びしています)。いろんなところへ一緒に行くことができました。
今日は、世界遺産・平泉に行ったときのお話です。
米主さんとは、いわて花巻空港で待ち合わせしました。お電話したことはあってもお顔を見たことがないし、どんな背格好なのか想像つかなかったので、かなりどきどきしながらの初対面でした。
無事お会いすることができ、車で平泉へ向かいました。車内では、私たちのこと、米主さんのこと、遠野のこと、兵庫のことなどいろいろお話して、新発見もいっぱいあり、これからの旅が楽しくなりそうな予感がしてきました。
まず向かったのは、中尊寺。
大きな杉が立ち並ぶ坂道・月見坂を、ゆっくり上っていきます。木漏れ日がきれい。
若干一名(この写真を撮ったわたくし・・・)、動悸・息切れを感じましたが(笑)、気持ちよいプチ登山でした。
中尊寺で一枚。立派なお寺でした。
金色堂を覆っている、覆堂と陽佑氏。
中にあったのは、柱や廊下まで全部きんぴかのお墓。目がチカチカするくらい、オールゴールドで、木でできた瓦にびっくりでした。初代清衡公、二代基衡公、三代秀衡公、そして四代泰衡公の首級が眠っているのだそうです。
自然薯そばの昼ごはんのあと、車でちょこっと移動して、毛越寺へ行きました。
昔はたっくさん建物があったそうなのですが、火事で焼けてしまったとのこと。残っているお堂は江戸時代のものらしいのですが、素敵でした。
毛越寺と言えば、「大泉が池」。凍っていて、ところどころ置かれた石に風情があって、いい場所でした。
11世紀後半に東北で続いた戦乱で、亡くなった方たちを、敵味方関係なく慰めたい。「みちのく」といわれ辺境とされた東北に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)をつくりたい。奥州藤原氏の初代清衡公のそんな思いと、非戦の決意が、中尊寺をつくるきっかけになったとのこと。
歴史といえば戦国時代に興味があって、それ以外となるとちんぷんかんぷんな裕美(嫁)なので詳細を理解するのは難しいのですが・・・ 伝わってきたのは、奥州藤原氏の”東北の人たちが、平和に幸せに生きられるように”という思い。
何百年も前にこの地で生きていた人たちがいること。いつの世も幸せにと願ってくれていたこと。感謝していきたいと思います。
それと、近いからいつでも行ける(遠野⇔平泉は1時間半弱)と思って、なかなか行けずにいた場所へ連れ出してくれた米主さん。ありがとうございました。
私たちが日々使っている、おもちゃのようなアナログデジカメではない、本格的な一眼レフで写真を撮ってくださって、見たままを鮮やかに伝えられるのっていいなと思いました(何枚かある、きれいな写真がそれです)。
3月9日なので、何度もレミオロメンをくちずさむ一日となりました。
皆さんも、ゆっくりお風呂に浸かって、肩の力をすとんと抜くことができる夜でありますように。
今日も一日、ありがとうございました。