私の原点、「寺田(てらた)」という田んぼ。
こんにちは。陽佑です。
昨日の裕美氏のブログにも書いてあった通り、稲は順調に穂を出しています。私たちの地域は水が冷たいので、水の入り口のあたりは、まだ穂がでていない場所もあるのですが、ほとんど出揃ってきました。出揃う時期を、「穂揃い期(ほぞろいき)」と言います。こんなに早めに穂揃い期を迎えるのは、久しぶりです。
あとは、しっかりお米がつまり、つまったお米が登熟すれば、いよいよ稲刈りが始まります。
久しぶりにゆっくり過ごしたお盆、お墓参りもしながら、改めて私の原点を振り返ってみました。
お米作りを始めた当初、田んぼは大きく分けて3つのエリアにありました。いまでは、田んぼをお借りしている範囲がもう少し広くなり、5つのエリア、約40枚の田んぼでお米作りをしています。
その中のひとつ、「寺田(てらた)」エリアがあります。お寺の近くにあることから、こう呼んでいるようです。菊池家の田んぼも、ここにあります。この田んぼは、私の祖父と曾祖父が手作りで作った田んぼで、いまでは貴重な場所となっています。
お寺の裏山から、えっさほいさと、木の棒にカゴを引っかけて運ぶ「もっこ担ぎ」という方法で土を運び、人力だけで作ったそうです。
小さい頃、田植えや稲刈りを手伝っていたときは、そんなことを聞いてもピンとこなかったかもしれません。お米作りを始めてから、改めて祖母や父にその話を聞きました。何千回、何万回土を運んだのだろうと、気が遠くなるような作業をして作った「寺田」は、私にとって、特別な場所です。
いま、20人ほどの方から、田んぼをお借りしています。農業を始めてから、経営がうまくいかず、何のためにやっているのか、不安になる時期もありました。そんなとき、田んぼをお借りしている方には、
「なんでお米作りしてきたんですか?」
と、聞いてみたこともありました。ほとんどの方が、
「先祖の土地、荒らすわけにはいかねーべ」
と言っていました。米農家のほとんどが兼業農家で、兼業でもトラクターなどの機械は所有しており、経営面を考えれば、毎年赤字です。そんな中でも、「荒らすわけにはいかないから」、という理由だけでなぜ続けているのか、最初はピンときませんでした。
いまでは、少しは想像できるようになっています。自分の祖父や曾祖父が、どんなことを考えて気の遠くなるような作業を続けて、田んぼを完成させたのか。自分の田んぼでお米を作りたい、家族でお腹いっぱいご飯を食べたい、そして、自分たち世代だけではなく、子や孫世代の未来の家族も、安心して生きていってほしい、そんな気持ちがあったのだと想像します。
この土地で生きていくということは、そうした思いを感じながら、自分自身もよい形でバトンを渡していくということが、とても大切なのだと思います。
私たちの世代では、家族だけで守ってきた土地を、家族だけではなく、地域一丸となって、地域だけで難しい場合は、ほかの地域の力も借りながら守っていく、生きる基盤を受け継いでいく世代になってきます。
ゆっくり過ごせたお盆は、改めて、そんな原点に触れることができた時間となりました。今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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