勘六縁の田んぼから

草とり三昧の日々、大地讃頌を思い出す。

こんばんは。
本日の担当は、裕美(嫁)です。

おとといの陽佑氏ブログでご紹介した、勘六縁Tシャツ。私の地元・茨城の筑波山で藍染めをされている「ぷにの家」さんの渾身の一作です。

私と陽佑氏に加えて、遠野の両親と茨城の両親(+弟)もおそろいという、このTシャツ。なんと、私たちの元職場の方から注文が★ 販売は考えていなかったのですが、そんなのもありだね!と嬉しくなりました。あとで連絡させていただきます。ありがとうございます。

今度、みんなで着てみて写真を撮る予定です♪ ブログで改めて紹介したいと思います。母、ありがとう。

さてさて、草とり三昧の日々が続いております。機械除草中の陽佑氏、ちょっと壊れたということで部品を取り寄せることに。

待っている間、手での草とりを一緒にできることになりました。やった~。

速いんです、陽佑氏。秋田・大潟村での修行時代、めちゃ速いばあちゃんたちの横でやっていたかららしいです。
手とり除草中の陽佑氏

バシャバシャ、すいすい進んでいきます。

手での草とりって、田んぼに這いつくばるかんじになります。視界に入るのは、土と水と草と稲だけ。たまに伸びをすると、空と山が見える。

聴こえるのは、鳥のさえずりと虫やかえるの鳴き声と、水の音。そして、あの歌です。大地讃頌。

♪ 母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる

大学の時になぜかこの歌を披露する機会があって、緊張してしっちゃかめっちゃかな伴奏をしたのですけれども(笑)、その時は歌詞の意味をわかっていなかったと思います。

今、田んぼで草とりをしていると、自分と大地(土、地球)の間には何もなくて、ただそこに自分がいて、この稲の実りをいただいて生きているんだなという感覚になったりします。

「母なる大地」の存在を、無条件にただ感じるような、そんなかんじ。

ちなみに、自然の中にいると人が恋しくなるよねと、陽佑氏が言っていました。田んぼって人を素直にするのかしら。それと同時に、ただシンプルに「感じる」時間をくれるのかしら。

そ~んなことを思ったりして、今年の草とりはどこか哲学的で、面白いです。

先週の日曜日に引き続き、今週の日曜日も岩手大学生が10人くらい来てくれる予定です。遠野の空気をたくさん吸って、ごはんを食べて、元気になって(筋肉痛になって!?)いってもらいたいです。

6月もあと少し、皆さんがやりたいことをして穏やかに過ごせる日々でありますように。

今日も一日、ありがとうございました。

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